心の窓から見えてくる風景

子どもたちの日常のなかのありふれたしぐさや行動、いつもと違ったちょっとした言動には、大切な意味がこめられていることがあります。そんなちっぽけなことに現れる意外な心模様。それは、長年のカウンセラー経験が培った、子どもたちの心と行動を照らし合わせる眼があるからこそ、みえてくることです。
子どもと親、親と教師、教師と子どもとのふれ合いのなかで、みえてくる心の成長に関するちょっといい話。「保健だより」「学級通信」などのなかで「ふれあいコーナー」などの連載の題材として使えます。 

<ご利用にあたって>
以下の文章を通信に引用される場合は、「理想教育財団HPより」と明記して下さい。


「感情転移」という視点

海野千細(八王子市教育委員会学校教育部主幹)

小学校の低学年を担任したことのある先生なら、子どもたちから「ママ!」とか「お父さん」などと呼ばれて、戸惑った経験が一度や二度はあるものです。男性の先生でもママと呼ばれることがあります。また、手を上げただけで、子どもが目をつぶったり、よけようと身をかわしたりすることもあります。中学校では、40歳代後半から50歳前後の女性の先生がガミガミと指導をしていると、男の子たちから「うるせぇ、クソババァ!」などと悪態をつかれたりすることもあります。

こうした子どもたちの言動は、精神分析でいう「感情転移」という考え方を当てはめてみると理解しやすいのではないかと思います。

「感情転移」とは、親や家族に対して抑圧された感情を、類似した対象に向けることです。つまり、学校では、親に似た立場である先生に対して、子どもたちがこれまで親に感じていたさまざまな感情を向けやすいということなのです。感情転移には、陽性、陰性、そして偽陽性と3種類あると考えられています。愛のあらわれである「陽性感情転移」、憎悪のあらわれである「陰性転移」、そして、陰性を隠している「偽陽性転移」です。

一般的に、学校生活では、ゆるやかな陽性転移を向けてくる子どもたちが多いような感じがします。考えてみれば、初めて会った担任の先生のさまざまな指示に、子どもたちはよく従ってくれると思いませんか。それどころか、先生の言ったことを、親の言葉以上に守ろうとする子もいます。

その一方、冒頭の例のように、先生に対して必要以上に恐れや怒り、いらだちを向けてくる子どもたちもいます。そうした子どもたちの場合、もしかしたら、陰性転移が起きているのではないかと考えると納得がいくことがあります。

また、小学校低学年の子どもたちのなかには、担任の先生に、「ねぇ、先生のおうちどこ? こんどあそびに行きたいな」「おんぶしてぇ」などと、甘えてくる子もいます。最初はかわいいと思ってつき合っていると、どんどんエスカレートしてきて、とても受け止めきれなくなってしまうことがあります。こうした場合、一見、親愛の情を向けてきている陽性転移のようなのですが、つき合っていくとうらみやつらみを向けてくる陰性転移であったりします。これが、偽陽性転移です。

精神分析では、一般に、陽性転移がはじめに出て、関係が深まってくると陰性転移が出てくるといわれています。できることならば、軽い陽性転移の段階でお互いに気持ちのよい関係を維持できるに越したことはありません。

子どもたちへの指導がうまくいかないと、先生としての力のなさを必要以上に責めたりしがちです。しかし、先生の指導の成果は、それまでの家庭における親子関係の上に成り立っています。うまくいかないときには、自分のどんなところに子どもたちが陰性転移を起こしやすいのか見つめなおしてみます。たとえば、自分と親の怒り方がどう似ているのか、表情、ふるまい等を確かめてみることも自分の指導のあり方を考え直すひとつのポイントになります。一方、子どもたちへの指導がうまくいっているときには、自分の手柄というよりは、その子とご両親の間に温かい関係が築かれているおかげと考えたほうがいいかもしれません。

学校で子どもたちの言動を受け止めることが難しいと感じたり、家庭と学校で子どもの様子が異なったりしているときには、「感情転移」という心のからくりを通して子どもたちを見直してみると、より深く子どもたちの状況を理解し、新たな対応を考えるときのヒントになるのではないでしょうか。

<参考文献>
『その時、子供はどう思うか』木田恵子著/太陽出版

著者プロフィール
海野千細(うみの・ちかし)
1952年生まれ。早稲田大学大学院文学研究修士課程修了。八王子市教育センター主任教育教育相談員、八王子市教育センター総合教育相談室長を経て、現在、八王子 市教育委員会学校教育部主幹。主な著書:『心理臨床のノンバーバル・コミュニケー ション』川島書店(共著)、『実践・問題行動教育体系 第1巻 子どもを取り巻く 生活環境』開隆堂(共著)、『いじめ問題にどう取り組むか』文渓堂(共著)、『学校に行きたくないって誰にも言えなかった』ほんの森出版(共著)ほか。