子どもたちの日常のなかのありふれたしぐさや行動、いつもと違ったちょっとした言動には、大切な意味がこめられていることがあります。そんなちっぽけなことに現れる意外な心模様。それは、長年のカウンセラー経験が培った、子どもたちの心と行動を照らし合わせる眼があるからこそ、みえてくることです。
子どもと親、親と教師、教師と子どもとのふれ合いのなかで、みえてくる心の成長に関するちょっといい話。「保健室だより」「学級だより」などのなかで「ふれあいコーナー」などの連載の題材として使えます。
<ご利用にあたって>
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海野千細(八王子市教育委員会学校教育部主幹)
不登校の子どもたちとかかわることの多い先生方は、「受容」という言葉になじみが深いのではないかと思います。「受容」とは、カウンセリングの世界から生まれた言葉で、文字どおり相手をそのまま受け入れようとすることです。しかし、「子どもを受容してあげましょう」といわれても、具体的にどうしたらよいかわからないという人も多いのではないでしょうか。
「受容」は、不登校の子どもたちに必要な働きかけとしてよく取り上げられます。なぜなら、学校へ行けなくなるまでのプロセスや現在の不登校状態について、担任や友人、家族から受け入れてもらえないことや理解してもらえないことが重なり、人に対して不安感や不信感をもっている場合が多いからです。
しかし、不登校のわが子に対して、「あなたはそのままでいいのよ」と受け入れようとすることは、そうたやすいことではありません。特に、「受容していれば学校へ行くようになるだろう」と見返りを求めて接していると、子どもがますます好き勝手な行動をとるようになり、とても受容しきれない状態に陥ることもあります。しかも、「これだけ受容しているのに、どうして学校に行こうとしないんだ!」と親は怒りやいらだちを感じやすく、親子関係がこじれる原因にもなりかねません。
もともと「受容」とは無償の愛であり、子どもに情緒の安定と、人に対する安心感や信頼感の回復をもたらすものであって、登校させるための方法ではありません。家族や他人から責められなくなり、自分を守る必要がなくなってくると、まわりの状況に目を向けられるようになり、自分の置かれた現実に取り組む意欲が高まって、結果として再登校するということなのです。
「受容」というと、相手の動きを待って受け入れるという受け身の印象が強いため、子どもに自分から働きかけようとする場合、どうしたらいいのかわかりにくいと思います。その際、「温める」というイメージを思い浮かべると、わかりやすいかもしれません。子どもの心が冷えきって、動けなくなっているときに、親やまわりの人が温めるイメージです。
さらに、「子どもが安心したり、喜んだり、楽しめるようなことをすること」であり、逆に言えば、「子どもが不安になったり、怒ったり、嫌がるようなことは、できるだけしないこと」。これが「受容」の具体的なイメージです。大事なことは、子ども自身が受け入れられていると感じることです。いかにまわりが受け入れているつもりでいても、その思いが子どもの心に届かなければ何の意味もないのです。
冷えた子どもの心を温めることは、親の体温が子どもに奪われることですから、親自身にも心が温まることが必要になってきます。つまり、受容する側の親にこそ、まわりの人から受容されることによって心が温まり、気持ちが楽になる体験や場が必要なのです。
子どもも大人も「自分が受け入れられているんだ」と感じられるようになると、心のなかに安心感が生まれ、次のステップに向けて少しずつ歩き始めることが多いのです。
▼プロフィール
海野千細(うみの・ちかし)
1952年生まれ。早稲田大学大学院文学研究修士課程修了。八王子市教育センター主任教育相談員、八王子市教育センター総合教育相談室長を経て、現在、八王子市教育委員会学校教育部主幹。主な著書:『心理臨床のノンバーバル・コミュニケー ション』川島書店(共著)、『実践・問題行動教育体系 第1巻 子どもを取り巻く 生活環境』開隆堂(共著)、『いじめ問題にどう取り組むか』文渓堂(共著)、『学校に行きたくないって誰にも言えなかった』ほんの森出版(共著)ほか。