ブックタイトル季刊理想 Vol.130

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概要

季刊理想 Vol.130

神社を住みかにした鳥子供の頃の思い出5月に渡って来ることから「れました。ずくとはフクロウの事です。まん丸の坊れる季節です。今回は、新緑の春に日本を訪れる鳥、アオバズクを紹介します。この鳥は、新緑となった主頭をした愛嬌のある鳥で、大きな丸い目の黄色の虹彩が特徴です(写真1園、人家の防風林など、青々と茂る森がある場所に棲み、木の洞で繁殖します。です。私が生まれた家の近くには、ケヤキの大木にし、春に渡ってくる夏鳥です。日本各地の神社、公囲まれた鬱蒼とした神社、鎮守の森がありました。この神社には毎年5月になるとアオバズクがやって来て、夕方から夜に「ホッホー、ホッホー」と2回ずつ繰り返して鳴く声を聞いていました。この神この鳥は、私にとって子供の頃の思い出がある鳥木々が葉を落とした冬は、緑が懐かしく感じらかつては日本各地の神社に生息していたアオバズクですが、近年は神社でみかけることも少なくなりました。営巣に適していた神社の環境が様変わりしたことが大きな理由です。)。冬は東南アジアで過ごあおばずく葉木菟」と名づけらは、後になってからのことです。フクロウではなくアオバズクであること知ったのまえて、家でしばらく飼ったこともあります。一度は、子供たちみんなで手造りの弓をつくり、親鳥めがけて弓で射たこともありました。とまっていました。地面に落ちてしまった雛を捕しかし、アオバズクを研究する機会は、なかなかぶ毛の生えた雛が3羽ほど巣立ち、親鳥と並んで大学で鳥の研究をすることが仕事になりました。降ろしていました(写真2)。社は、子供の頃の遊び場で、遊んでいると頭上の高い枝にアオバズクがいつもとまっていて、下を見7月始めの頃には、ケヤキの木の洞から白いう信州大学に入学し鳥の研究を始めた私は、後に当時はこの鳥をフクロウと言っていましたが、アオバズク訪れませんでした。夜行性のため、行動観察が難しきっかけとなったのは、長野冬季オリンピックのマスコットが「スノーレッツ」というフクロウに決まったことでした。最初に取り組んだのは、このシリーズ9回目に取り上げたフクロウです。次に取り組んだのがアオバズクでした。長野市郊外にある神社で、この鳥を調査しました(写真3)。アオバズクが渡ってくる前、洞の中に小型の親指カメラと豆電球を設置し、アオバズクの戻りを待近くに設置したビデオデッキで、抱卵開始から雛ちました。幸い、この年も同じ洞で繁殖してくれました。最初にしたことは、電球の明るさに馴らすことでした。最初は弱い光で短時間明るくし、徐々に時間を長くし、24時間巣の中をカメラで撮影できるようにしました。電源は車のバッテリーを使い、アオバズクは、毎年同じ洞を使って繁殖します。巣の洞にカメラを設置して調査青かったからです。私がフクロウ類の研究に挑戦する人間載と鳥の世界●11中村浩志(中信村州浩大志学国名際誉鳥教類授研究所代表理事)●中村浩志先生プロフィール1947年生まれ。信州大学教育学部卒業。京都大学大学院修士課程修了および博士課程単位取得。専門は鳥類生態学。理学博士。これまでの主な研究はカワラヒワの生態研究、カッコウの托卵生態と宿主との相互進化に関する研究、ライチョウの生態と進化に関する研究など。2002年、カッコウの研究で第11回「山階芳麿賞」受賞。日本鳥類学会元会長。ライチョウ会議議長。主な著書に『戸隠の自然』『千曲川の自然』(ともに信濃毎日新聞社)、『甦れ、ブッポウソウ』「ライチョウが語りかけるもの」(ともに山と渓谷社)、『二万年の奇跡を生きた鳥ライチョウ』(農山漁村文化協会)など。連季刊理想2018冬号◆11