学級通信なんでも相談室

第18回
双方向性のある通信にしていくには?

「双方向性のある通信活動の必要性が強調されていますが、具体的にどのようにすれば、そういう通信が実現できるのでしょうか?反響がなかなか目に見える形で返ってこないので、どのくらい読まれているかも心許ない状態です」という悩みが寄せられました。確かに、「一方通行」「暖簾に腕押し」では、通信発行の意欲もなくしかねないですね。どのような工夫をすれば、めざすべき「双方向性のある通信」にすることができるか、考えてみましょう。

最初にお断りしておかなければならないのは、「双方向性」ということはもちろん大切なことですが、そのために無理をしたり、それを自己目的化したりしたのでは、本末転倒であるということです。保護者からの反応を求めすぎることも、厳に慎まなければなりません。最も大切なのは、日々の教育活動そのものを充実させることですし、通信活動に限定して言えば、保護者が本当に読みたくなるような内容、読んでよかった役にたったと思ってもらえるような内容にしていくことです。反響も双方向性も、それに伴って自然に得られていくものです。

別の言い方をすれば、通信は通信だけで自己完結しないということです。よりよい通信活動の基盤であり、最大のねらいは、保護者との信頼関係の構築です。今、教育現場やマスコミの中で、「モンスターペアレント」だとか「イチャモン保護者」などという不快きわまりない用語が、それこそ「妖怪のように徘徊」しています。不信のぶつかり合いでは、生産的なものは何も生み出されません。それぞれの立場を尊重しつつ、率直な感想や意見を交換し合い、意思の疎通と相互理解を図っていきたいものです。そのためには、直接顔と顔をつきあわせた肉声でのコミュニケーションこそが何よりも重要だと思います。肉声のコミュニケーションの醸成に貢献する通信活動こそが、めざすべき姿だと私は考えます。このことを絶えず念頭において書き編集していけば、反応も双方向性も自ずと出てくるのではないでしょうか。

とは言え、保護者に対し一般的に「何か書いてください」と投稿を呼びかけても、「はい分かりました」と素直に書いてくれる保護者など最初はほとんどいないのが現実の姿だと思います。また、特定の保護者の特定な意見だけが通信に載るのでは、別な問題も起きてきます。誰もが、先生とや保護者どうしで普通におしゃべりする延長線上で書けるような、温かく受容的な雰囲気の醸成が基盤としてまず必要です。「これは私(あなた)の個人的な見方。全体の意見ではないし、他に強要するものでもない」という暗黙の了解が成立していることも、必要な条件です。

以上の基本点を押さえた上で、保護者に紙面に登場していただくための方策のいくつかを順不同で以下に挙げてみました。これらの他にもアイデアはいろいろあると思います。何か一つでも「これ、やってみたい」というものが見つかったら、挑戦してみてください。

今学級や学校あるいは世間で問題になっていることについて、簡単なアンケートを取る。そのアンケートの結果をもとに、今度は自由に意見を書いてもらう。
「随想ノート」のようなものを順番に回し、その中から執筆者の了解のもとに(原文のまま、あるいは要約して)掲載する。
通信がどのくらい読まれているか、どんな記事がよかったか悪かったか、どんな内容を望むか、などの「読者調査」を行う。
特定のこれぞと思う保護者にお願いし、後に続く人が書きやすいような「先鞭」を付けてもらう。
子どもに自分の親や祖父母からの聞き書きを課題として出し、その成果を連載する。
保護者に行事や授業を参観しての感想を書いてもらい、その中から代表的なものをピックアップして載せる。時には「授業評価」もしてもらう。
「うちの子ってこんな子です」とか「息子自慢、娘自慢」とか「我が子を語る」とかのタイトルで自分の子どもを紹介する短い文章を書いてもらい、連載する。
お父さんお母さん自身の思い出、例えば「私の子ども時代」とか「思い出の先生」とか「我が母を語る」とか、子どもたちが読んで楽しめるようなシリーズを企画する。
NIE(エヌアイイー)(新聞利用学習)の一手法である「ファミリーフォーカス」
(親子で共通の記事を読み合い、話し合う活動)の果実を掲載する。

大切なことは、どんな企画を取り入れるにしても、単発で終わらせるのでなく、出来るだけ継続的に追い続けていくことです。反響が反響を呼ぶようになれば、素晴らしいと思います。最後に、くどいようですがもう一言。反響がないからと言って保護者を恨んではなりません。まして「うちの保護者はダメだ」などとは口が裂けても言ってはいけません。反響がないそのこと自体が、自分の通信活動への評価であると捉え、編集方針や内容を反省してみることも必要だと思います。