ブックタイトル季刊理想 Vol.124

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概要

季刊理想 Vol.124

2 ◆ 季刊理想 2017夏号 昭和40年代の終わり頃から、近代日本人の精神構造とその変容過程を明らかにしようと思い、古本市へ通って自伝・伝記を集めていました。当時は、有名無名の実業人、政官界人、教育者、芸術家、芸能人等々の自伝・伝記が安く手に入りましたので、社会・風俗・娯楽・生活関係の資料と合わせ分析し、昭和55年(1980年)頃から論文にし始めました。ところが、平成に入ると、我が国が生涯学習社会の実現を目指すことになったため、生涯学習関係のことに追われて、中断状態になってしまいました。 東日本大震災は我が国に大きな打撃を与えましたが、社会通信教育受講者の多くも元気を失いました。その人達に、困難に立ち向かって道を拓いた明治・大正・昭和の人々の心を伝えてはということになり、実業人を中心として『時代を生き抜く心のマップ』(社会通信教育協会、2012年、直販)をまとめました。 藤原銀次郎(明治2年~昭和35年、1869年~1960年)といえば、製紙王といわれた人ですが、日本人には命をかけて仕事をするところがあり、それは日本人の精神の発露だといっています(藤原銀次郎述『苦楽談片』昭27、164頁)。常に最善を尽くし、最良の仕事をするために、仕事に命をかけるというわけですが、その最良の仕事をするために、多くの実業人が一人一業主義、一生一事業主義を唱えていました。エビスビールで日本のビール王となった馬越恭平、長崎カステラ文明堂創業者の中川安五郎、ヤンマーディーゼル創立者の山岡孫吉など枚挙にいとまがありません。 典型的なのは、小林作太郎(明2年~昭12年、1869年~1937年)で、彼は小学校しか出ていない技術者ですが、明治21年(1893年)に民間電機工場の草分けといわれる田中製作所―すぐに三井家に売られ芝浦製作所となる―に入り、のちの東芝の基礎を築いた一人といわれています。明治44年(1911年)に常務となり、大正10年(1921年)に芝浦製作所を退社していますが、その生涯は芝浦製作所一筋で、現役時代には他からのさまざまな役職就任の勧誘を断り続け、退社してからでさえ次々と舞い込む勧誘を断り続けました(木村安一『小林作太郎伝』昭14、190頁以下)。 理想科学工業の創業者・羽山昇(1924年~2012年)の生涯を追った植松活三『夢こそ我がいのち』(サブタイトル「三畳間のガリ版工場を世界の理想科学に育て上げた羽山昇の夢人生」、ダイニチ出版、2017年、非売品)の“本の帯”に、“理想科学が未曽有の困難に陥った昭和40年代。羽山は「一人一人が挑戦だ。一人一成主義でいこう」…と檄をとばした。”とあるのを見て、ハッとしました。最良を求めての一人一業主義、開発こそ命という一人一成主義は、まさに実業の発展を根底のところで支える精神の1つなのではないでしょうか。一人一業主義と一人一成主義筑波大学名誉教授  山本 恒夫●山本 恒夫(やまもとつねお)東京教育大学(現筑波大学)大学院博士課程出身、教育学博士。専門:生涯学習学 。筑波大学教授、大学評価・学位授与機構教授、八洲学園大学教授、同学長、国の生涯学習審議会委員(社会教育分科審議会会長)、中央教育審議会委員(生涯学習分科会会長)などを歴任。日本生涯教育学会会長を経て、現在同学会常任顧問、同学会生涯学習実践研究所顧問。(一財)社会通信教育協会顧問、(公財)理想教育財団評議員。著書:『21世紀生涯学習への招待』など多数。