ブックタイトル季刊理想 Vol.119

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概要

季刊理想 Vol.119

言葉の歳時記●11季刊理想 2016 春号 ◆ 11中洌 正堯 ●兵庫教育大学名誉教授●なかす まさたか1938 年、北九州市生まれ。兵庫教育大学名誉教授。元兵庫教育大学学長。国語教育探究の会・国語論究の会顧問。国語教育地域学の樹立を目ざし、「歳事(時)記的方法・風土記的方法」を提唱する。著書に『国語科表現指導の研究』(溪水社)、『ことば学びの放射線』(三省堂)ほか。歌の情景・百人一首の春 歌の言葉をイメージ化し、個々のイメージをつないで写真を創り、心のアルバムにおさめ、折々に歌の個展を開いてみよう。若菜(聖)と手枕(俗)15 君がため春の野に出でて若菜摘む我が  衣手に雪は降りつつ     光孝天皇67 春の夜の夢ばかりなる手たまくら枕にかひなく  立たむ名こそ惜しけれ   周防内侍 15の、(朝)―春の野(自然)―若菜―雪という構成に比べて、67は、春の夜―(屋敷内)―手枕―夢という構成である。 15は正月七日の神聖な若菜摘みの行事をふまえたものであり、衣手に雪が降ってくるあたり、大伴家持の歌「あらたしき年の初めの初春の今け日ふ降る雪のいやしけ吉よ ご と事」を思わせる。 67は宮中のお勤めの世界で眠気を覚えた内侍が枕が欲しいわねとつぶやいたのを聞いて、大納言藤原忠家がこの手枕はどうですかと誘いかけた、その返答の歌である。 15の誠実な行為は受け入れられ、67の露あらわな戯れは拒否される。古里の梅と都の八重桜35 人はいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔  の香かににほひける      紀 貫之61 いにしへの奈良の都の八や へざくら重桜けふ九ここのへ重に  にほひぬるかな       伊勢大輔 「にほふ」には、視覚的に「美しく照り輝く」意味と、嗅覚的に「よい香りが漂う」意味とがある。歌ごとにどちらに力点を置くかを考える。35の「花」は梅で、ここは嗅覚中心に視覚が添うかたちで、61の八重桜は視覚中心に嗅覚が添う感じである。 35は、人の心はどうだか分からないが、梅の花は昔のままに咲き匂っていることだと、相手の絡からみに応えた歌である。 61は、かつての都、平城京から届いた八重桜が、今日、この平安京の宮中に美しく照り輝いているというもので、皇室および道長一門の繁栄を讃えた歌である。小を ののおゆ野老の歌「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」と並べてみよう。山桜(近)と尾上の桜(遠)66 もろともにあはれと思へ山桜花よりほか  に知る人もなし     前大僧正行尊73 高たかさご砂の尾を の へ上の桜咲きにけり外と や ま山の霞かすみ立  たずもあらなむ      大江匡房 二つの歌における桜との遠近感を測ってみよう。66は「もろともにあはれと思へ」と同情を求めて呼びかけるほどに近い。73は「高砂の尾上(遠くの高い山の峰)」というほどに遠い。 66には山桜を友としたい孤独感につづく親近感がある。73には尾上の桜をいつまでも見ていたい憧しょうけいかん憬感と、外山(近くの低い山)の霞への忌き ひかん避感がある。散る桜と花吹雪33 ひさかたの光のどけき春の日にしづ心な  く花の散るらむ       紀 友則96 花さそふ嵐の庭の雪ならでふりゆくもの  はわが身なりけり      藤原公経 この二つの歌についても遠近感を探る。33は、なぜ花は落ち着いた心もなく散っていくのだろうかと客観視する。と見えて、それは己が心のさわぎなのではないか。 96は、同じ散るでも花吹雪である。わが身が旧ふりゆく(年老いてゆく)ことの自覚、対象(桜)に主体を重ねている。16